京菓子辞典
ジャンル別 好み菓子 | ||
好み菓子
このみがし |
菓が始まり、いろいろなものが作られるようになってきた寛政ぐらいから、徐々に「好み菓子」といわれるものがでてきた。 菓子の好みという言葉は、利休の頃にはなかったようである。 好みという多くの菓子は、茶の流行とともに作られた。 藩政時代、御用菓子司が城に納めるだけこれらを作った。 不昧候・遠州候の大名好みも、詳しい記録は少なく、その型も確かなものはあまり残っていない。 享保(1716年)~明和(1772年)のころにかけては、菓子も多くできたが、好みとしては初期のころであった。 安永(1772年)~文政(1830年)ころに、好み菓子は数多くでき始めた。 特に嘉永(1848年)~安政(1860年)ころ非常に好みが多い。 好みものとされなかったころの茶菓子には、 藤袴、 珠光餅、 ほらがい餅、 友白髪、 筑羽根、 人参糖、 竹ながし、 好月などがある。 宗家の好み菓子もあまり記録に残っていない。 玄 々斎好みの銀杏餅・百合金団も手造りが主であったようだ。 明治以後は少し好みが少なくなってくる。 一時は業者まかせのものもある。 『千家好菓子集』の覚書から、茶事の時、業者の作った菓子をも含め、好みとされたものを以下に記しておく。 一 裏千家 一 表千家 一 武者小路 一 藪内流 一 堀内流 一 宗偏流 |
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不昧候
ふまいこう |
不昧候の円熟期である隠退後の会記(安永四(1775)年~文化十四(1817)年の茶会記)から抜粋して月別に列挙する。 (松江郷土史研究家である大田直行氏の記録による) 一月 なお、この会記によれば、当時は松葉・薄霞・麦らくかん・粒あんようかん・松かさね・山吹かさねの六種が不昧好みと称された。しかるに今日では、山川・菜種の里・若草・東雲などが不昧候のお好み菓子だったと称されている。 |
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裏千家
うらせんけ |
裏千家(今日庵)歴代家元の好み菓子。
一燈好(八代) 氷室・天焼饅頭 不見斎好(九代) 千代の友 柏叟好(十代) ・・・安永から文政のころの餅菓子全盛時代で、上等の製菓はまだ幼稚であるが、好菓子は多い。 月羹・雲門・旭餅・加茂の山・竹流し・鱗づる・蓬饅頭・紅蕨 玄々斎好(十一代) ・・・製菓としては、まだ初期時代であるが、好みとしては嘉永、安政ころに非常に多い。 寒牡丹・春の野・寒月・仙家・此花(=咲分)・百合金団・銀杏餅・三友餅・笑くぼ・竹流し水羊羹・琥白糖・早蕨 半月煎餅・四季糖・二見浦・観世水・折松葉・万代結・千代のこぶし・常陸帯・稍の錦・八束穂・さざれ石 又妙斎好(十二代) 麩焼・紅小倉・丹頂・初雁・冬籠 円能斎好(十三代) ・・・大正の平和時代に晩年を送られ、菓子も隆盛期であったから、好み菓子は自由に作れる時代であった。 雪の梅・春の道・秋の野・岩もる水・法の袖・一味・秋の山路・窓の梅・里の曙・山路の梅・唐錦 淡々斎好(十四代) ・・・昭和初期は業者が技術を振るっていた頃で、良菓もできたが、戦争のため菓子は一時は姿なく、砂糖も入手難となった。 千歳・春風・藻の花・初雁蒸羊羹・銀杏餅・蓮根羹 鵬雲斎好(十五代) 花紅・竹寿 |
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表千家 おもてせんけ |
表千家(不審庵)歴代家元の好み菓子。
如心斎好(七代) 如心松葉 |
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武者小路 むしゃこうじ |
武者小路(官休庵)歴代家元の好み菓子。
直斎好(七代) くづ焼 |
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藪内流 やぶのうちりゅう |
藪内流歴代家元の好み菓子。 透月斎好(十一代) 藪団子・檜葉饅頭・吉祥 |
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堀内流 ほりのうちりゅう |
堀内流歴代家元の好み菓子。 鶴叟好(五代) 若草饅頭 松翁好(八代) 柚饅頭 不仙斎好(十代) 早苗金団・翁草・卯の花巻 |
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宗偏流 そうへんりゅう |
山田宗偏の好み菓子。 宗偏饅頭 |
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