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京菓子辞典


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ジャンル別 歴史 主菓子 干菓子 菓子器関連 好み菓子

ジャンル別  主菓子

  主菓子
おもがし
主菓子といわれる蒸菓子類はつくってからこれを風味するのに時間を争うほど、味の変わり易いものがかえって賞美され、生きているものであるからタイミングが必要である。
また、舌に感じるその味に重点をおくから、原料のよいことと新鮮さが条件となり、しかも器などの取り合わせに気がくばられる。

⇒ 干菓子


  花びら餅(菱葩)
はなびらもち
(ひしはなびら)
餅菓子。
正月といえばまず餅である。鏡餅の儀式は古くから伝わるが、餅が歴史に出てくるのは、紀元前二、三世紀の弥生時代からで、中国伝来ではなく日本独特のものである。
平安朝には正月に、宮中で「お歯固め」という重要な儀式があった。これは餅を噛むことで、歯は齢に通じて齢を固めるところから長寿を意味する。この儀式に用いるものは、蓬莱飾りの鏡餅と菱葩の包み雑煮である。年賀参内の公卿には「雉酒」と菱葩が出るのである。
昔は雉の肉を入れたものを、江戸時代には焼豆腐の一片を雉に見立て、土器に入れ、熱い酒をその上から注いで、お肴の菱葩は白い丸い餅の上に赤い菱型の餅を重ね、柔らかく蒸した牛蒡二本に味噌を塗ったものを芯にして編笠に折ったもので鏡餅と菱葩が調達される。
宮中御定式の御鏡餅には、白木大三宝に大奉書二枚重ねを四枚敷き、その上に「ほなが」「ゆづり葉」の二枚重ねを四方へ配し、その上へ鏡餅をのせる。その餅も禁裡・賢所三斗・女院二斗・仙洞御所二斗五升・宮家一斗五升というようにそれぞれ量が定められてある。
正式のものは下が白餅、上が赤餅の重ねであって、賢所の御神供は赤・白・赤の三重である。そして鏡餅の周囲にはころ柿二十、蜜柑二十、柑子二十、橘二十、萓二合、勝栗二合を並べ、橘と柚を四隅に一個ずつ交互に置いてある。
鏡餅の上には大葩(薄く延ばした円形の白餅)十二枚、大菱(菱型赤餅)十二枚をのせ、その上から大長昆布を二枚重ねに、「ほんだわら」二把を添え、三宝の左右にたらせる。
昆布の上には串柿二本をのせた上に、砂金餅というきんちゃく形の白餅に、伊勢海老を紅白の水引で結びつけてのせる。
菱葩は、現在は菓子化されているが、「歯固めの式」の包み雑煮や御定式にあるように、白餅を丸く平らにして赤い小豆汁で染めた菱型の餅を薄く作り重ね、ふくさ牛蒡を二本置く。
これは押鮎に見立てる(鮎は年魚と書き、年始に用いられ、押年魚は鮨鮎の尾頭を切り取ったもので、古くは元旦に供えると『土佐日記』にある)。
また雑煮の意味で味噌を使用してある。
このような形になったのは明治中期頃のことで、川端道喜が売り出したものである。
初めは搗餅であったが、最近は求肥となっている。
一般に葩餅またはお葩というのは、菱餅のないもので、菱餅の重ねられたものを菱葩というのが正語である。
葩は、『山家集』に、花くだものといって団扁にして花弁に似たるとあって、梅や桜などの花びらに見立てたようである。
初春らしい菓子で、毎年独楽盆にのせ、裏千家の初釜に用いられる。


  未開紅
みかいこう
この銘は紅梅のことである。その名のごとく、女性的な感じであって、皮は薄とき色であり、白のこなしを重ねて漉餡を四方より包み込み、中央に黄色のしべをつけている。
縁高の蓋をとると黒地にとき色が美しく冴えて見える。

 『御前菓子図式』"未開紅"の項に、
  だんご紅にて染め、薄くのばして四角に切り、上に落雁の炒粉を付る也。

  内へ羊羹包み申候、角よりよせ申候

とあって、姿・銘はにているが羊羹を包み込んでいる。宝暦の書にも材料は異なるが現代にも使える姿はあるわけである。


  千代の蔭
ちよのかげ
薯蕷皮の小判形に若松の印のすっきりとしたもので、器とバランスがよく合う。新春には若松の根引と春の行事の飾りものに用いる。
正月上の子の日に、わが国では天平宝宇二年正月初子を詠じた歌が『万葉集』二〇にあることや、「子の日の遊び」の行事があり、郊外の山野に出て命の長い小松を引き、若葉をつんで羹にして食べ、歌宴を張ったともいう。
平安朝を通じて人気のある行事である。正月の菓子としては適している。


  白梅
はくばい
花の兄、春告草ともいわれ、奈良朝に渡来したころは白梅が主であって、紅梅は平安朝といわれる。白はすがすがしく清楚な新春らしいもので女性的なやわ肌のような美しさがある。
米の粉の団子皮で白餡を包み、寒晒しにまぶして仕上げてある。


  丹頂
たんちょう
白色の山芋で作る。砂糖を加えて茶巾しぼりのきんとんを作り、白餡を芯に小判形を片寄せて絞り、つまんだ上に紅をつけ、鶴の巣ごもりを連想させたものである。
裏千家十二代 又妙斎好。


  旭餅
あさひもち
餡は紅色で丸く、葛製の外皮で四方より包む。葛のうちから赤く透き通っていて美しい菓子である。紅餡は十分冴えた色に作らねばならない。薄皮餅で包むものもある。
弘化三(1846)年五月に裏千家十代 認得斎柏叟が好まれたもの。銘の関係で一月にも使われるようである。


  千代の友
ちよのとも
蒸羊羹仕上げで、上部は淡紅、下部は白色。
裏千家九代 不見斎好。
この頃から舶来のカステーラ、カルメラなどが惣菓子に使われた。田沼時代でもある。もう煉羊羹が江戸にて売られている頃でもある。


  冬の山路
ふゆのやまぢ
山道はこなし製で、古くからある棹物。
三ヶ所ほどへこませて山なみを感じさせる。
白こなしと小豆色のこなしを外皮として、中央に小豆餡を包む。
これを小口切りにすると遠山の峯に雪をいただく感じがあらわれ、春や秋の山路とちがって木枯らしの厳冬の北風を感じさせる。
色彩的にしぶく暖かみのない色合いである。


 
ます
四方形の薯蕷製で上に焼筋を入れ、豆枡の形に作られた菓子で、漉餡を包んでいる。


  稲荷山
いなりやま
二月のはじめの午の日、全国の稲荷神社で祭礼が行われる。それが初午である。
この初午や二の午の茶会に、織部風の薯蕷に鳥居の焼印をつけた菓子を用いる。炮烙に玉の絵を書いて入れ、如月の取合わせにしてみると面白く、趣向の茶菓子となるだろう。


  こぼれ梅
こぼれうめ
紅梅の花が一輪、二輪こぼれる風情を出した、こなし製の菓子で、紅色の表面にちらりほらりと梅花の型がつけてある。


  窓の梅
まどのうめ
下地窓に梅花を散らし、なんとなく早春の訪れを感じさせてくれる菓子である。
庵の松風の音を聞き、梅の香を連想するこの菓子は、薯蕷皮の四方形で、餡は漉餡で仕上げている。
また同名で、餅皮で小豆の漉し餡を包み、形を丸型に作り、上部の皮の中に大徳寺納豆を散らし込んでいるというのもあり、裏千家十二代 円能斎好みである。


  雪間草
ゆきまそう
花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや  家隆

残雪の溶けた隙間から、芽ぐむ草を雪間草という。
利休居士愛誦の歌でもあるこの銘から萌出ずる草を緑色に仕立て、残雪を山芋のきんとんで作り上げた、茶味のある菓子である。


  下萌
そたもえ
草の芽が萌え出るのを下萌という。
冬枯の野や路傍のかたわら、石垣の隙間などに緑の生命を見ることは力強い感じがする。
白い外郎皮の下からほのかに緑色が見える上品な菓子である。


  椿餅
つばきもち
日本最古の餅菓子の一つである。有名な『源氏物語』の「若菜」上巻に、「つきづき殿上へ、簀の子にわらしためしてわさとなへ、つばいもちひ、なし、かうしようのもの共、
さまざまにはこのふたともにとりまぜ、わかき人こそほれり給ふ」とある。
この「つばいもちひ」は唐菓子の一つである「椿餅」のことである。
『源氏物語河海抄』に、「椿の葉を合わせ、もちひの粉にあまずらをかけて包みたるなり」とあるが、輸入された品そのままであるかどうかは疑問で、
おそらく餅の性質からいって唐菓子とはかなり違っていたものと思われる。
『名菓秘録』や『御前菓子図式』に
粳(うる)米粉を狐色ほどにいり粉にして、罹会(きぬふるい)にかけ白砂糖を竹簾(たけどはし)にてふるひ三品を合せてよく手にてもみ合わせ少ししめりあるときに布をしめし甑(こしき)の内に敷き随分よく蒸し、
杵臼にて右やはらかに成たるほどつき、椿の実ほどにまるめ上下椿の葉二枚にはさみてよし口中にてきゆるごとくにて味ひ至て上品なるものなり。
と記され、葉の中味は実の姿に思われている。
現在ではただ葉に餅がはさまれているように思うが、昔の人は実にたとえていたのである。
道明寺製の餡餅の上下に、先をちょっと切った椿の葉をあてたものがあるが、このようになるまでにはいろいろの苦心と考慮があったのであろう。


  引千切
ひっちぎり
ひっちぎりは、小豆餡をよもぎ団子皮で包むか、または、よもぎ餅の中央のくぼませた部分に置く菓子である。角のようなところは、ちぎったときにできるのである。
これは戴餅に由来するが、いずれにしても子供の生育を祝うための餅である。
京都では子供出産の時に女児ならば、これを婿方の家に贈る風習があったらしい。
現在、三色に作る引千切は、雛祭りの菓子の第一である。
配色をきれいにこしらえたもので、きんとんなどを美しくのせたものもある。
また、節句に用いないで、4月8日釈尊誕生日に蓮に見立てて、いただきと称して売るものもある。
誕生の意味から宗教にも用いたのであろう。
龍舌餅ともいわれる。


  戴餅
いただきもち
誕生日や御着帯の祝儀に宮中御儀式に用いられた白餅で、扁平で真ん中がくぼんだ上に餡をのせたもの。

⇒ 引千切


  龍舌餅
⇒ 引千切

  菜種きんとん
(菜の花きんとん)

なたねきんとん
(なのはなきんとん)
青色のきんとん仕上げの上部に黄色のそぼろを散らせて、菜の花が一面に咲き誇った野辺の様子を銘にちなんでいる。
菜種は、油菜の花で黄色い十字花。このごろは一月頃から出回るが、茶の方では利休忌までは席に入れないことになっている。
前記のほかに青色と黄色の大胆に色分けしたものもある。


  草餅
くさもち
雛の節句は、ひとつには草餅の節句ともいっている。草餅は昔は母子草をつき混ぜたという。中国の『けいそ歳時記』に、
三月三日鼠麹草(ははこぐさ)の汁をとり蜜を合わせて粉に和す
とある。日本に伝わったのは9世紀の頃らしい。鼠麹を和名でホウコと呼んで、女子の祝いに母子の健全を祈る意味に通わせたものという。
後に、母子をおなじ臼につくことを忌むという思想が起こり、艾(モグサ、今の蓬)を主用することになる。
ハハコグサ、モグサもともに薬草であり、これを餅につき混ぜるのは邪気をはらい、疫病を除くという意味で、節句以外にも季節の風味で一般に作られるようになっていった。
ハハコグサも俗にモチヨモギと称して併用する地方が残っている。
製法には、糯米を粒のまま蒸すのと、粉にしたものをこねて蒸すのとの二法がある。
蓬は別にゆでて細かく刻んだものをつき混ぜて、形を整えるためにウルチ粉を併用する場合もある。
江戸では昔から多く、青粉を用いて色をつけたという。
現在では乾燥貯蔵した蓬葉があって年間を通じて利用されるが、香味ともに青々とした生葉には及ばない。


  菱餅
ひしもち
菱餅は雛壇に供えるもので、茶菓子にはあまり使用されていない。
熨斗餅を菱形に切ったものであって、三枚に重ねたのは小笠原氏の家紋である三蓋菱に因んだものともいわれる。


  春がすみ
はるがすみ
外郎皮を花びらのように丸く薄く延ばし、紅餡を挟み、二つ折にした菓子。
その様子は、ほんのりとした紅色が春がすみがかかったように暖かく見える。


  初ざくら
はつざくら
ぽつりぽつりと咲き出した初桜の風情を表現している。
濃淡、淡い紅のそぼろをぼかし目につけて仕上げたきんとんで、ほのかな紅は春らしい色彩である。



  ほらがい餅
ほらがいもち
貝寄せにちなんで軟らかい羽二重肌の餅で黒の漉餡を包んでいる。
ほら貝の形で、皮ごしに餡が透けて見えるように濃淡がたくみに作られている。
中に小豆餡を入れて焼目をつけたものもある。
古いデザインである。


  春の日
はるのひ
薯蕷饅頭の上に桃の焼印をつけてほのかにピンク色に染めて春のムードをそえている。


  山路の春
やまぢのはる
薯蕷仕立ての織部風の饅頭に、蕨の印をつける。
峯の早蕨を連想した菓子。


  蓬餅
よもぎもち
米の粉に蓬をまぜて団子皮を二つ折にして粒餡を包む。
よい香りがして野趣のある蓬には邪気を払う力があり、食すれば寿命がのびるという中国の思想から起こったらしい。


  若草
わかくさ
道明寺皮を若草の緑に仕立て、雪餅のように、氷餅を粉にしたものをつけている。


  青柳
あおやぎ
若緑のこなし製に糸目の千筋を入れて、芽ばえを感じさせるような白ごまをちらしている。


  曲水
きょくすい
曲水の宴とは、昔、三月三日に宮廷や貴族のあいだで行われた風流な遊びで、宮中の行事の中でも特に風雅なものであった。
龍泉の庭を流れる清流におしどりの形をした「うちょう」を浮かべてそれに杯をのせて流し、自分の前に流れつくまでに、歌をよんで酒杯をとり、また次に流すといった、のどかな王朝の遊びである。
曲水の宴がこの日にはられるのは、身のけがれを雛人形にたずさせて流す中国の故事によるものである。
『日本書紀』や藤原時代の記録に見られる。
薯蕷羹の流し物で、中央に青色の羊羹をはさんで春の小川をあらわしている。


  蕨餅
わらびもち
蕨粉を煮て固めた皮で、漉し餡をまるく包み、豆の粉をつける。蕨粉は練って蒸すと葛餅のようになるが、葛とはまた違った野趣の風味がある。
あべ川にすることもある。


  春風
はるかぜ
蕨餅の中の餡を青餡にしてある。”春立ちて野辺の下萌”の意味で、早蕨を表して季節感を出している。
蕨餅には蕨粉を煮固めてちぎり、豆の粉でまぶしたものもある。
裏千家十三代 淡々斎好。


  丁子餅
ちょうじもち
丁子草を模したもので、小豆外郎皮で仕立て、白小豆餡を入れたものである。
丁子草は南方の熱帯性のもので、湿地に自生する多年草である。
茎は一、二尺(30cm)、葉は柳に似て白い竪筋があり、互生する。
茎上に淡紅色の丁子に似た花をつける。薫り高い花である。


  花車
はなぐるま
雛の節句にふさわしく、花弁のような花車を菓子に織り込んで、薄桃色の薄皮で餡を包んだ口当たりのよい菓子である。


  さわらび
こなし皮を三方よりよせ、二方の先を丸く蕨の様に仕立て、小倉餡を包んでいる。


  佐保姫
さほひめ
奈良の東にある佐保山が霞に染まるのを佐保姫という。
この春景色にちなんだ菓子で、紅餡を薄い外郎皮に包んで、山形に丸く作ってある。色が透けて見える優雅な菓子である。

  西王母
せいおうぼ
中国の伝説に、西王母の桃は、一つ食べても不老長寿といわれている。
紅色のこなしで桃を形どった玉子餡入りのものである。雛の節句に適した菓子である。


  春の野
はるのの
黄と青に染分けた練物。厚さ約1cm。色は淡色である。
裏千家十一代 玄々斎が、春の菜畑にちなんで好まれた。


  花筏
はないかだ
花筏とは、水面に散って流れてゆく花弁を筏に見立てたもの。
菓子の花筏は、求肥製に焼印で桜花をちらしてあり、禁裡御用の古い京菓子として伝えられている。銘は御所から賜り、花筏の細長い丸太の形に、晩春にふさわしい、器の中の組み方によって筏のごとくに形づけてある。
茶味のあるもので、皮のやわらかい紅に染められた肌は口当たりが大変よい。


  花紅
はなくれない
緑色と紅色の染分に仕上げたきんとんで、黒餡入りで紅餅種になっている。
花は紅、柳は緑から、四月に裏千家十五代 鵬雲斎が好まれた。
春の景色の美しさを形容された菓子で、京の町をあらわしている。
柳桜をこきまぜて  都ぞ春の錦なりけり


  花見団子
はなみだんご
春の茶会にふさわしい菓子である。白煉餡を紅に染め、緑色は蓬をまぜて、また漉し餡の三色の団子を青竹串にさす。春の茶会にふさわしい菓子である。
白煉餡を紅に染め、緑色は蓬をまぜて、また漉し餡の三色の団子を青竹串にさす。また漉餡と白餡と漉餡の三色にすることもある。この場合には、芯に米の粉を団子に使うこともある。


  花衣
はなごろも
うす紅のねりものを薄くのばし、二つ折り、桜の花型を一輪つけている。美しく、春らしい菓子である。
また、二種の色を重ねて二つまたは四つに折ったもので、桜襲ね(かさね)からでた名でもある。


  花かすみ
はなかすみ
薯蕷の上にほのかな春の色を彩ってぼかしあげ、二本の焼線で霞を連想させている。


  唐衣
からごろも
謡曲の杜若をおりこんでいて、杜若の色合いが外郎皮に出ている。
この謡曲は『伊勢物語』で「或る人の曰く、かきつばたという五文字を句の上にすえて旅の心をよめよといいければよめる"唐衣、きつつなれにし 妻しあれば、はるばる来ぬる 旅をぞ思う"とよめりければ…」とある。


  藤の花
ふじのはな
明治の頃から伝わるもので、白外郎に小豆漉餡を包み、上部に小豆粒をつけたものやしんこに小豆粒をつけたものである。
求肥皮で白餡を包みあげることもある。
"藤の花"といわれてみればどことなくそう思われるところに茶味がある。


 
ちまき
端午の茶にはなくてはならない菓子である。
粽に関しては、いろいろ故事が伝えられている。
粽の語源もいろいろあって、茅の葉で包むので茅巻ともいい、千巻の鉾に由来してともいう。形も場所によって様々である。
粽といえば、京都では水仙粽か羊羹粽であるが、地方では外郎粽という新粉仕上げが多い。
粽は古来から使われている。『延喜式』に見られるから、927年にはあったといえる。粽は中国で始まったものといわれ、京都では五色の糸の粽が「御所粽」として伝わっている。
五色の糸の粽は、邪気を払うといわれ、疫病をのぞくという故事に基づいていて、節句で厄除けとしても伝わっている。
また、播磨の蘇民将来が茅の葉を5月5日に軒にのせて疫病よけにしたというところから、茅や笹で団子を包み5月5日にこれを食べると疫病にかからないといわれる。


  岩根躑躅
いわねつつじ
黄緑のきんとんを山に見立て、冴えた紅色を散りばめた菓子である。
岩躑躅 折りもてぞせこが着し  くれない染めの色に似たれば
と和泉式部の歌にも花の色彩を歌われており、源氏物語にも岩躑躅はみられ、季節の代表花木として愛されていたようである。
同名の菓子でも、店によって形の変わったものが数多い。


  青楓
あおかえで
練り物で漉し餡を包み、楓の形をあらわした菓子である。
楓の若葉の鮮やかな緑色は、清々しさを感じさせてくれる。


  麦手餅
むぎてもち
麦刈りの頃に、畦などで昼食の代用に食べる漉し餡を包んだ大振りの長めの餅である。
豆の粉をまぶしたような上品なものではなく、野趣あるもので、麦手餅の名から麦を模して茶菓子として使用された。
店によっては少しは形や趣を変えている。


  柏餅
かしわもち
柏餅の名は古くからあるが、節句には粽が用いられ、柏餅が季節のものとなったのは、江戸寛文(1661年)の頃らしい。
上代から柏の葉が食器がわりに使われていた名残りが、餅を包んで柏餅となったもので、柏餅は粳米の粉を団子に練ってよく搗き、楕円形の扁平にした中に漉餡か味噌をはさんで編笠に作り、柏葉一枚を二つ折りにして包んだものを蒸して出す。
今日では、柏餅は季節になると全国どこでも見受けられるが、桜餅のように名物という肩書きはない。
江戸末期の浮世絵師歌川広重が東海道五十三次を描いた中に猿ヶ馬場の柏餅がある。
新潟県佐渡島の海府ではカシワの葉でちまきのように巻いた餡入りの菓子を五月の供物としているが、地方によっては柏餅をお盆の供物としているところも多い。
たとえば鹿児島の沖永良部島ではモロコシを原料とする柏餅が七月の精霊祭に必需の供物とされている。
長崎の壱岐島でも、アカメガシワの葉で包んだだんごを「かしわだんご」や「みやけだんご」などといって送盆の精霊舟に積み込んで流す風習がある。ここでは小枝についたままの葉に包んだちまきに少し似たものである。
山口の児島では、五月節供には粽だけで柏餅は使わない。
盆の十五日に赤飯を柏の葉に盛って供える。柏の葉が古来食物を盛るのに使われた事実から見て、盆の精霊に供える食饌を柏の葉に盛ることは自然であって五月の節供にも適用されたのであろう。
京阪地方では男子出産の初の端午の節句に粽をくばり、二年目には柏餅を送るのであるが、江戸では初午より柏餅をくばっていたらしい。
嘉永以後からは、柏の葉一枚を二つ折りにする場合、餡入りには葉の表を使い、味噌入りには葉の裏を使って標とするようになった。
葉は乾かして貯えた葉を湯に通して戻し、これで餅を挟んで蒸し、その香りを賞味するのである。新葉を蒸して作るものもあるが色彩ばかりで香りがない。
味噌を使うことは昔の調味法の遺風で、その素朴な味は餅とよく調和する。珠光餅などもその一例である。砂糖が一般に使われるようになって、白味噌に砂糖を加えてやや柔らかめに造り、好みによって粉山椒を少々混ぜたり、また白餡を少量加えることもある。


  花菖蒲
はなしょうぶ
蒸しこなし製で、光琳写しの花菖蒲をかたどって白餡を包んだもので季節に適している。花菖蒲は水辺の多年草で燕子花(かきつばた)に似ているともいわれる。


  青梅
あおうめ
 

 
うきぐさ
 

  紫陽花
あじさい
 

  岩もる水
いわもるみず
錆のある草色に染めて煮た葛を岩に、白い部分を水に見立てたもの。本葛を使用すると透明で、青味が涼しそうである。
裏千家十三代 圓能斎好。


  天の川
あまのがわ
 

  青瓢
あおふくべ
 

 

朝顔
あさがお

 

  磯辺餅
いそべもち
 

  渦汐
うずしお
 

  秋の野
あきのの
黄色と薄紫色で染分けにきんとんで仕上げたもの。中には小豆の小倉餡を入れて、少し細高く作る。
裏千家十三代 圓能斎好。


  秋の山路
あきのやまぢ
栗を蒸して肉を採り、砂糖を加えて餡に作り、少量の寒梅粉を混ぜ、村雨仕立てとしたのを、平たい小判型に押し、両面を少し焼いたもの。
裏千家十三代 圓能斎好。


  秋色
あきいろ
 

  亥の子餅
いのこもち
 

  織部饅頭
おりべまんじゅう
 

  河骨
こうぼね
 

  梶の葉
かじのは
 

  葛焼
くずやき
吉野葛に餡粉と砂糖を合わせて煮き、無造作に鍋で杓子切りとしたものを鉄板で押さえ、両面に焼目をつけた茶味あるもの。
武者小路千家七代 直斎好。


  木の間の瀧
このまのたき
 

  こぼれ紅
こぼれべに
 

  琥珀
こはく


  小萩餅
こはぎもち
秋の七草の一つで、はぎの生え芽の意味だそうで、旧い株から新芽が萌え出すので、こういわれ、昔から秋を代表する草で草冠に秋という字を書いて「はぎ」とよませた。
緑色の餅菓子に萩の花の美しい色が可愛く見える。

  桔梗餅
ききょうもち
桔梗は、秋の七草の一つで、枝上に紫碧色をした鐘形の五裂の鮮麗な花が咲く。
餅菓子の桔梗型をしたもので、こし餡を包んだ季節菓子である。
六月の嘉祥菓子に入る。


  萩の餅
はぎのもち
江戸時代の中期に栄えた餅加工品の一種で糯米と粳米とを合わせて蒸し、飯にしてすり鉢の中で摺る。それを団子にして蒸し、小豆餡か大豆粉をまぶして食する。
これを「萩の餅」とも「萩の花」ともいう。
「お萩」などともいわれるが、萩の花の咲き乱れたところからその銘がつけられ、牡丹の花にも似ているので、「牡丹餅」ともいう。


  白露
はくろ
二十四気の一つ、処暑ののち十五日、新暦にして九月七、八日頃である。
秋の気配がようやく訪れて、露を結んで白くなった様子をいったもので、草木の葉などに露がたくさんできる。
緑きんとん製で上に露のごとく錦玉の光が美しく輝いている。


  月見団子
つきみだんご
団子は唐菓子の団喜の系統をひいている。
米の粉に砂糖を加えて練り、適宜の大きさに丸めて蒸す。
月見には団子を供える習慣があって、ススキ、芋などとともに三宝に15個盛る。日本では宇多天皇の寛平九(897)年に宮中にて観月の宴を催されたのが発端となったと伝わる。

→ 月見

  小芋
こいも
芋名月とは、陰暦八月十五夜の月を観賞するのに里芋の子の皮をつけたままで蒸した衣被(きぬかつぎ)を三宝に盛って供えるところからきているようである。
これにちなんで、こし餡をこなしで包んで小芋に似せたもので、ところどころに子がついて愛嬌があり、中秋の月に寄せる菓子にふさわしい。


 
きぬた
砧とは、麻、楮(こうぞ)、葛などの衣服用の布地を柔らかくするために板の上に置いて木槌で打つことである。
昔から秋の夜にその音は寂しさを誘い、詩歌にも詠まれている。
白求肥製で、紅餡を巻き込んだ口当たりのよい菓子である。


  法の袖
ほうのそで
黄色の餅菓子で香包の品のよい型の上に源氏香の焼印を押したものである。
その他にこの銘は裏千家十三代 圓能斎好みの法事菓子があり、白、黄二枚重ねの外郎仕上げで、中に調味した味噌餡を入れ、四つ折にする。柚味を薄くつけることもある。


  十五夜
じゅうごや
旧暦八月十五日(中秋の月)で一年中でこの夜の月がもっとも澄んで美しいとされ、世界各国の月の見方も異なるといわれるが、古くより日本では月に兎の話が伝えられている。
薯蕷饅頭の天を焼いて兎の姿を残している。


  うずら餅
うずらもち
求肥皮で鶉黄味餡仕立てになって、上に少し胡麻をふっている。他に求肥皮に焼すじを一の字に入れて鶉の背に見立てたものや、餅菓子などもある。
鶉はずんぐりとした形で羽色は枯草色、声がよいので籠に飼われるらしい。秋の草原にいて、よく草の下などを駆けてゆく。


  待宵草
よいまちぐさ
この花は月見草とは別種のものであるが、同様に思っている人もいる。
月見草は白色の花をつけるのに対し、待宵草は黄色の花である。
月見草は九月のようであるが、夏の季節の花である。
黄色いういろ製を折り込んだ形は待宵草をあらわしている。


  初雁
はつかり
白のこなし皮で小豆餡を包み、直径4.5cmほどの平たい丸型に作り、表面に雁の型を押したもの。高さは1.5cmほど。
裏千家十二代 又妙斎好。
蒸羊羹仕立てのものは、裏千家十四代 淡々斎好。
これは、中に百合根を散らしてあり、小口切にすると、一つか二つ切口に白い百合根が雁のように見える、というもの。葛の黒砂糖製もある。


  がらん餅
がらんもち
餅菓子。
がらんとは伽藍で、僧園または精舎で僧が集まり住んで仏道を修するところである。
この菓子はその伽藍石、いわゆる礎石をかたちどったものである。
法事、仏事などに使用されることが多い。


  月羹
げつかん
棹物。
白小豆の羊羹を丸い棒状にして小豆餡の羊羹で外部を丸く包み、小口切りとする。
文化、文政ごろの菓子である。
裏千家十代 柏叟好。


  萩の露
はぎのつゆ
緑色のきんとん地の上に小豆をちらしたものであるが、この他に道明寺の中へ小豆を散らし、青く染めた寒天を加えて煮あげた棹物もある。
小口切にして使い、青色の中に道明寺の白、小豆の薄紅が透けて見え、この菓子の銘をよく表現している。小豆を萩の花として白花、紅紫花をちらしている。
白露を とらば消ぬべし いざやこの  露にきそひて 萩の遊びせむ  万葉集 


  桂の月
かつらのつき
月を詠んだ詩歌俳句はもちろんのこと、画題にも沢山あり、俳句などで月といえば、秋のそれを指している。水面にその光が映るのを喜ばれる。
餅皮を半月に折り、桂川の月に見立てている。

水一筋 月よりうつす桂川    蕪村


  野分
のわけ
八月も終わりを告げ、襲来する暴風で野の草を吹き分けていく野分の跡には、秋草が倒れていたりする。
蕎麦羊羹を仕立てて、ススキの穂のごとくに切りこみ、穂先にけしつぶをつける。


  一夜草
いちやそう
桔梗のこと。
桔梗は多年生草木で、秋のあさがおは桔梗をしめしたものといわれる。
万葉集には憶良の七草の歌などがあるが、桔梗というのが今日の定説である。
新撰字鏡に桔梗を阿佐我保と訓み、昔の呼び名もある。
薄紫のういろ製。


  一葉
いちよう
秋のはじめ、風も吹かないのに大きな桐の葉がふわりと散る。
「桐一葉」または「一葉」ともいう。
こし餡を黄色、緑色に着色し、茶巾しぼりのごとくなるべく腰を低くして絞りあげ、上部を細く茎のように仕上げる。


  尾花
おばな
ススキの叢を尾花といい、山野に茂る。
九月を過ぎると棹の頂に中軸から分かれた黄褐色もしくは紫褐色の一枚枝からなる花穂を出す。
花穂は尾花と呼ばれ、秋の七草の一つに数えられる。
この菓子も小豆練切生地に青色中餡を包み、白練切を薄く延ばして、茶巾しぼりのあと小豆練切の茶色と白練切の二色をわけたもので、秋の風情の色合いがある。


  着せ綿
きせわた
赤・青・黄の三色のこなし餡を染分けにして茶巾しぼりにし、小倉餡を包む。
裏千家十三代 圓能斎好。


  唐錦
からにしき
赤・青・黄の三色のこなし餡を染分けにして茶巾しぼりにし、小倉餡を包む。
裏千家十三代 圓能斎好。


  銀杏餅
ぎんなんもち
道明寺餅の中に銀杏を散らし入れ、楕円に作る。砂糖の調味である。餡なし。
裏千家の露地に生えている、宗旦手植えの公孫樹(いちょう)の実を応用して、裏千家十一代 玄々斎が好んだもの。
もう一つ、道明寺餅ではなく、白の求肥餅の中に元伯手植えの鴨脚樹木(いちょう)の実を散らし込んだ銀杏餅というのもある。餡は小豆の漉したもので、こちらは裏千家十四代 淡々斎好。
今日庵では宗旦忌にこの淡々斎好みの銀杏餅を出すのが恒例である。


  栗かの子
くりかのこ
江戸時代の中期に栄えた餅加工品の一種で糯米と粳米とを合わせて蒸し、飯にしてすり鉢の中で摺る。それを団子にして蒸し、小豆餡か大豆粉をまぶして食する。
これを「萩の餅」とも「萩の花」ともいう。
「お萩」などともいわれるが、萩の花の咲き乱れたところからその銘がつけられ、牡丹の花にも似ているので、「牡丹餅」ともいう。


  木の間の錦
このまのにしき
 

  木枯し
こがらし
 

  風花
かざはな
 

  試み餅
こころみもち
 

  寒菊
かんぎく
 

  寒牡丹
かんぼたん
薄紅色の落雁製で、中に黄餡を入れて、平形の押物のように作られている。
裏千家十一代 玄々斎好。
徳川末期の文政頃から明治初期の好みである。


  顔見世
かおみせ
 

  寒椿
かんつばき
 

  寒菊
かんぎく
 

  早苗きんとん
さなえきんとん
 

  さみだれ


  清流
せいりゅう
 

  そぼろ菊
そぼろぎく
 

  善哉餅
ぜんざいもち
 

  蕎麦饅頭
そばまんじゅう
 

  水仙餅
すいせんもち
 

  白雪
しらゆき
 

  黄昏
たそがれ
 

  稚児ちょうちん
ちごちょうちん
 

  竹流し
たけながし
外回り2cmあまりの青竹を12cmほどに切り、中へ淡紅または白色の錦玉(琥珀)糖の柔らかいものを流し込み、使う時、節に小穴をあける。
裏千家十代 柏叟好。
竹流し水羊羹は、裏千家十一代 玄々斎好。


  玉すだれ
たますだれ
 

  通天
ゆうてん
 

  夏木立
なつこだち
流し込み葛饅頭。皮には吉野葛を用い、中から青餡が透けて見える。
武者小路千家十二代 愈好斎が大正十四(1939)年夏に好んだもの。


  納豆餅
なっとうもち
 

  氷室
ひむろ
葛製饅頭で中には氷に模した三角形の羊羹を入れる。
氷室とは、天然の厚水や雪を、山麓の日陰に穴を掘って作った室で、六月朔日(ついたち)に禁中に氷を献上したものである。
裏千家八代 一燈好。


  深見草
ふかみぐさ
 

  富貴草
ふうきそう
 

  星の影
ほしのかげ
 

  星の光
ほしのひかり
 

  葉月
はづき
 

  初紅葉
はつもみじ
 

  豊年
ほうねん
 

  初霜
はつしも
 

  冬籠
ふゆごもり
白い悪汁のない百合根を蒸し、裏ごしして砂糖を入れ、きんとんとし、小倉餡で包んで、茶巾絞りに仕上げたもの。
裏千家十二代 又妙斎好。


  姫椿
ひめつばき
 

  初雪
はつゆき
 

  水無月
みなづき
 


  水藻の花
みなものはな
 

  水鏡
みずかがみ
 

  藻の花
ものはな
白の葛皮を用い、青色の餡玉を三方から包んだもの。
裏千家十三代 淡々斎好。
北海道のマリモにちなんで好まれたようにも思われる。思い出深い好み菓子である。


  水牡丹
みずぼたん
 

  深山の雪
みやまのゆき
 

  みのりの秋
みのりのあき
 

  稔り
みのり
 

  万寿菊
まんじゅぎく
 

  まさり草
まさりぐさ
 

  万寿菊
まんじゅぎく
 

  まさり草
まさりぐさ
 

  四葩の花
よひらのはな
 

  夕立
ゆうだち
 

  山の幸
やまのさち
 

  よわい草
よわいぐさ
 

  雪餅
ゆきもち
 

  雪の朝
ゆきのあさ
 

  立秋
りっしゅう
 

  若鮎
わかあゆ
 

  藤袴
ふじばかま
外皮を玉子入り皮で小豆餡を巻き、棹物にしたもので、小口切りにして出す。


  珠光餅
しゅこうもち
・じゅこうもち
正月の切餅を焼いた上に山椒味噌をつける。村田珠光が鏡開きの餅を使ってアイディアを出したらしい。そのためこの名が伝えられる。
珠光好みあるいは珠光餅などと、誰かが後で勝手に名づけたらしい。記録にはあるが珍しくなく、珠光即座の思いつきであろう。


  天焼饅頭
てんやきまんじゅう
薯蕷(じょうよ)饅頭の上部に鉄板で少し焼目をつける。
裏千家八代 一燈が江戸の稽古場へ出張の途中、静岡浜松の小饅頭を見て好まれたもの。


  雲門
うんもん
道明寺餅の外皮を白の小倉餡で包んで仕上げ、楕円型に作る。
弘化二(1845)年巳十月、宗旦遠忌において裏千家十代 柏叟が好まれたもの。


  加茂の山
かものやま
白餡入りで、外部は小豆餡のきんとん作りで少し平たい。
弘化五(1852)年三月に裏千家十代 柏叟が好まれたもの。


  鱗づる
うろこづる
鱗型の小豆餡をいれた薯蕷饅頭で、上部に鶴の焼印がある。
裏千家十代 柏叟好。
これは利休居士の室、宗恩女の紋所にちなみ、追悼の好みである。


  蓬饅頭
よもぎまんじゅう
白の薯蕷饅頭で、上部に蓬の葉を刻んだものを散らしつける。中は小豆餡を入れる。
裏千家十代 柏叟好。


  寒月
かんつき
蒸羊羹の中心に丸く白外郎を入れる。棹物に作り、小口切りとして使用する。
嘉永二(1849)年十月に裏千家十一代 玄々斎が好まれたもの。
六閑斎好みとも伝えられる。


  仙家
せんけ
蒸羊羹で、外は小豆餡を使い、内部に小豆のつぶし餡を入れる。長さ21cm、巾4cm、厚さ2.5cmほどに仕上げた棹物である。
裏千家十一代 玄々斎好。


  百合金団
ゆりきんとん
外部を、白小豆と百合根を合わせて白きんとん仕立てに作り、中は小倉餡。
安政二(1855)年十月に裏千家十一代 玄々斎が好まれたもの。


  三友餅
さんゆうもち
餡入り。求肥皮に外部に熬りケシをまぶす。2cmほどの直径の一口型である。
裏千家十一代 玄々斎好。


  笑くぼ
えくぼ
自然薯製で、小豆の漉し餡を入れて上部を少しくぼませ、笑くぼに見せ、朱点をつける。
裏千家十一代 玄々斎好。
京では、江戸時代、男子の元服に対して、女子が結婚の披露や里帰りに必ず笑くぼ餅を出す習いがあったようで、
この種のものを最近、普通の饅頭大に作って、お福、笑顔などといって、くぼまさずに朱だけつけてあるのを見うけるが、間違いである。


  麩焼
ふやき
あぶった片面に黒砂糖のスリ蜜を引いたもの。
麩の焼と麩焼を間違える方も多いが、異なるものである。
裏千家十二代 又妙斎好。
棒形焼麩を薄く6mmほどに切って菓子に使用したことは記録にある。


  紅小倉
べにおぐら
白小豆を淡紅色に染めた砂糖の蜜に漬けたもので、白餡を包んだものであり、贅沢な菓子である。腰高に作る。
裏千家十二代 又妙斎好。


  春の道
はるのみち
青色と黄色のこなし製で、双方を同じ厚さに作り、これを重ねて棹物に巻き、小口切にして使う。
裏千家十三代 圓能斎好。


  一味
いちみ
両側を味噌松風とし、中央に黒羊羹を挟んで作った棹物で、切って使用する。
裏千家十三代 圓能斎好。


  千歳
ちとせ
老松を意味したもので、青色きんとん仕上げであって、餡は大納言の小倉を使い、時には雪を模して上に白芋を散らし、趣を添える。
裏千家十三代 淡々斎好。


  蓮根羹
はすねかん
水羊羹の中に蓮根の若いものを入れ、竹の皮に包んだ上から細縄がかけてある。あらかじめ冷やしておいて小口切にする。
裏千家十三代 淡々斎が金沢で好まれた。


  竹寿
ちくじゅ
薄緑の外郎仕立てに青色の二筋を通して、青竹に見立てたもので、すっきりとした菓子である。
裏千家十五代 鵬雲斎が名古屋で好まれたものである。


  竜の玉
りゅうのたま
葛皮製で、餡は青色または紅色を使用して餡玉を作り、葛皮で三方から包み、竜が宝珠をつかんだ型。
表千家九代 了々斎好。


  常磐饅頭
ときわまんじゅう
薯蕷皮の腰高饅頭で、中に青餡を入れて松に見立て、皮で雪を利かせたもの。
不審庵家元の初釜はこの饅頭が嘉例となっている。
表千家十一代 碌々斎好。


  芝の雪
しばのゆき
小豆の小倉餡を入れた小豆色きんとんで、上部へ白芋の裏漉しを散らし、雪に模す。
表千家十一代 碌々斎好。


  残月
ざんげつ
生姜入り煎餅皮。中に小豆の漉し餡を入れ、図のように二つ折りとする。煎餅の外部にスリ蜜をカスリ引きしたもの。
表千家十二代 惺斎好。


  花あやめ
はなあやめ
薯蕷饅頭製で紫のぼかしがあり、緑の木賊(とくさ)を押した美しい菓子で、漉し餡を包む。
表千家十三代 即中斎好。


  弥さか茂ち
やさかもち
皮は麩焼で、芯に切餅を入れた味噌餡を包む。やや長方に包み、表面に木瓜または巴の焼印を押す。
表千家十三代 即中斎好。


  都の春
みやこのはる
きんとん仕上げで、半分は淡紅色で、もう片方は緑色の染分け。”柳桜をこきまぜて”と、春の錦に見立てたもの。餡は小豆餡。
武者小路千家十二代 愈好斎好。


  藪団子
やぶだんご
藪内家は好み菓子は少なく、藪団子も代々手作りで、燕庵好みとして十一代透月斎のころまで使用。
道明寺糒(ほしい)を蒸し、団子に作る。器は主に菓子碗を用いる。碗中に敷砂糖をして団子を入れ、上からまた砂糖を振って用いる。


  檜葉饅頭
ひばまんじゅう
藪内家 燕庵好みとして代々使用され、現代まで伝わる。この菓子は餡ができてからの好みで、小豆餡入り小麦皮。
上部に檜葉の焼型がある。小判形である。


  若草饅頭
わかくさまんじゅう
薯蕷製で草色に染めたもので、餡は小豆のつぶし餡を使い、初春にちなんだものである。
堀内家五代 鶴叟好。


  柚饅頭
ゆずまんじゅう
黄ばんだ柚の上部を切り、肉を切った中に小さい饅頭を詰め、上の皮を元のようにして蒸し上げたもので、これも小口切りにして使う。
堀内家八代 松翁好。


  早苗金団
さなえきんとん
緑色のきんとん仕立てで、小豆餡を用いる。上部に、琥珀糖の細かく、さい切りにしたものを少し散らす。
堀内家十代 不仙斎好。


  翁草
おきなぐさ
緑のこなし皮餡入りで、上に白髪芋を細く美しくつける。
堀内家十代 不仙斎好。


  卯の花巻
うのはなまき
外部は青色のこなし、内部は砂糖入りの白雪糖を用いる。渦のように巻き、小口切りとして芯に胡桃(くるみ)をつける。
堀内家十代 不仙斎好。


  宗偏饅頭
そうへんまんじゅう
小判形のしんこ皮に漉し餡を包み、赤や黄青色に染めた飯粒が振りかけてある。
山田宗偏がこの饅頭が好きだったので、いつしかこの名がつくようになった。「いか餅」といって、伊勢庄野にあったものに似ており、野趣があっておもしろい。

 
参考文献:『茶菓子の話』(淡交社)、『カラー 京都の菓子』(淡交社)。すべて鈴木宗康先生著



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