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京菓子辞典


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50音別          

ジャンル別 歴史 主菓子 干菓子 菓子器関連 好み菓子

50音別  な  

歴史
南蛮菓子
なんばんが
日本の菓子の歴史で唐菓子とともに大きな変化をもたらしたのが「南蛮菓子」の渡来である。
ポルトガル人が日本に来たのは応永十九(1412)年であった。元亀二(1571)年には貿易を目的として、深江という今の長崎にオランダ船がやってきた。そして全国のうちでここ一港だけ貿易が許され、オランダ人に限って往復をしていた。
オランダ人とイギリス人は紅毛、ポルトガル人とスペイン人を南蛮と言っていたが、フィリピン諸島から東南アジアを経て渡来したから、全般的に南蛮菓子というようになった。
『長崎夜話草』には、

  ハルテ、ケジアト、カステイラ、ボール、花ボール、
  コンペイト、アルヘル、カルメル、ヲベリアス、パアスリ、
  ヒリヨウス、ヲブダウス、タマゴソウメン、ビスカウト、パン

とある。

『太閤記』にも

  …下戸にはカスティラ・ボウス・カルメヒラ・アルヘイ糖・
  コンペイ糖などをもてなし我宗門に引入る事 尤もふかかり
  しなり

と記されている。永禄十二(1569)年4月に宣教師ルイス・フロイスが二条城に織田信長を訪れ、ビロードの帽子や鏡などとともに有平糖や金平糖のフラスコなどを贈ったと伝えられている。
南蛮菓子の到来は、砂糖の大量輸入と砂糖菓子伝来といえるが、すぐに一般化したのではなく、しばらくは特殊階級のもののようであった。


主菓子
菜種きんとん
(菜の花きんとん)

なたねきんとん
(なのはなきんとん)

青色のきんとん仕上げの上部に黄色のそぼろを散らせて、菜の花が一面に咲き誇った野辺の様子を銘にちなんでいる。
菜種は、油菜の花で黄色い十字花。このごろは一月頃から出回るが、茶の方では利休忌までは席に入れないことになっている。
前記のほかに青色と黄色の大胆に色分けしたものもある。


野分
のわけ
八月も終わりを告げ、襲来する暴風で野の草を吹き分けていく野分の跡には、秋草が倒れていたりする。
蕎麦羊羹を仕立てて、ススキの穂のごとくに切りこみ、穂先にけしつぶをつける。


  夏木立
なつこだち
流し込み葛饅頭。皮には吉野葛を用い、中から青餡が透けて見える。
武者小路千家十二代 愈好斎が大正十四(1939)年夏に好んだもの。


干菓子
熨斗結
のしむすび
結びを睦みに、熨斗と掛け、紅白の有平を結び、熨斗結として新年や祝いの取り合わせに使われる。


  ねじり棒
ねじりぼう
紅白のねじりの有平糖を、社の鈴の緒に見立てたもの。
節分にも初午にも取合わせられる。


  ねじ梅
ねじうめ
梅を愛する心は万葉の昔からあり、

  雪の色を奪ひて咲ける梅の花
     いま盛なり見む人もがも

などと詠まれ、花の兄、此の花、好文木、未開紅の別名も菓子の銘にとり入れ扱われている。
この菓子は打物で、紅梅と白梅と両方がつくられる。
寒梅粉の打物に梅肉を入れる場合もあるが、ねじ梅の型をした紅白の二種を打ったものである。


  撫子
なでしこ
 

  夏河原
なつがわら
 

  夏木立
なつこだち
 

  夏の露
なつのつゆ
 

  納涼
のうりょう
 

  夏の海
なつのうめ
 

  たづな


  鳴子
なるこ
鳴子とは秋に刈り取った稲を野辺で干す際に、米をついばみに来る雀を追い払うためのもの。


  人参糖
にんじんとう
一燈ころからある、黄色の有平を細巻きにしたもの。


  名取川
なとりがわ
やや長方形の落雁製で、有名な名取川の模様が浮き出しとなっている。
奥州名取川から産する埋木(うもれぎ)は昔から有名で、『古今集』にも詠まれているが、武者小路千家七代 直斎はその埋木で長方形の香合を作り、見込に川浪の金蒔絵の好みができた。これを写したものである。
武者小路千家十一代 一指斎好。


参考文献:『茶菓子の話』(淡交社)、『カラー 京都の菓子』(淡交社)。すべて鈴木宗康先生著



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