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京菓子辞典


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50音別          

ジャンル別 歴史 主菓子 干菓子 菓子器関連 好み菓子

50音別  た  

歴史
糖芸菓子
とうげいがし
→ 飾菓子


  田道守
たじまもり
菓祖。大極殿や御所の紫宸殿に橘の木が植えられているが、橘には田道守の伝説がある


豊岡の里
とよおかのさと
落雁製の淡紅色で方形をしており、上部を少し盛り上げた型の餡入りである。


  団子
だんご
団子ははじめ「団喜」といわれ、唐菓子の中にあった。
他のものと違い「餡入り餅」の油揚で今の団子より饅頭のようであった。また「歓喜団」ともいっているが、これは京都の菓子の中に「清浄御団」としてその姿が見られる。
『類聚往来』に団粉・ダンゴなどとだんごの語源もいろいろあり、いしいしといわれるところもある。
団子として初めて世に出たのは正徳元(1711)年。同年の夏に甲州八日市市場の不動尊が両国回向院で開帳されたとき、両国橋の東詰の泥工(さくはん)松屋三左衛門がこれを製して販売したのである。
三左衛門は越後屋の出であるので、その当時は「越後団子」といっていたという。
団子は餅の加工品の一つで、糯米か粳米かあるいは両方を合わせて作り、また玉蜀黍(きび)・小麦などの粉でも作り、食べるときには赤あずき、ささげ、ごま、大豆粉、砂糖などを用いるものである。
安永、天明の頃には江戸で有名な団子といえば『江戸喰物重宝記』にみられる「米つき団子」「笹団子」「更科団子」「おかめ団子」「吉野団子」などいずれもその時代を代表している団子である。
また、団子には全国で行われている年中行事などに取り上げて使うものがある。京都の団子にも、御所の菓子、天の川や下鴨のみたらし、祇園団子、宇治の茶団子などがある。
江戸時代から神社の大祭・例祭の日に社務所や境内の売店が厄除けの目的などで供饌と同じものを売るようになった。
団子には二つの系統がある。米粉団子の内か外かに餡を入れるか、まぶすもの、もう一つは米粉を蒸して餅として調味料を塗って焼くものもある。
京都下鴨のみたらしは後者である。
名物の団子も明治以降になってくると製菓技術の発達とともに材料に米粉ばかりでなく、もち米、粟の粉も用いられ、またモロコシ、キビ、小麦粉などの穀類の粉まで使うようになった。


  月見
つきみ
嵯峨大沢の池では、中秋の名月になると優雅な大宮人の龍頭の船を浮かべ、月見の宴が開かれる。月見台にはススキ、萩などの七草の花を活け、月見団子を供えて琴の音がかなでられる。
この風習は中国から入り、平安時代初期の宮中観月記録がのこっている。京都には観月の名所も多い。


  重陽の節供
ちょうようのせっく
旧九月九日、九は陽の数で、これを重ねるので重陽の節供という。
中国に端を発したもので、わが国では平安朝から行われており、宮廷では非常に重んじられる行事である。これが民家では栗めしをたいて栗の節句と呼んだ。旧暦にすれば菊の盛りであるから菊の節句とも称され、菊花の宴の催もある。
この月は異名を菊月、菊咲月、菊開月ともいう。しかし、夜長月であるから一般に長月ともいわれている。


主菓子 千代の蔭
ちよのかげ
薯蕷皮の小判形に若松の印のすっきりとしたもので、器とバランスがよく合う。新春には若松の根引と春の行事の飾りものに用いる。
正月上の子の日に、わが国では天平宝宇二年正月初子を詠じた歌が『万葉集』二〇にあることや、「子の日の遊び」の行事があり、郊外の山野に出て命の長い小松を引き、若葉をつんで羹にして食べ、歌宴を張ったともいう。平安朝を通じて人気のある行事である。正月の菓子としては適している。


  丹頂
たんちょう
白色の山芋で作る。砂糖を加えて茶巾しぼりのきんとんを作り、白餡を芯に小判形を片寄せて絞り、つまんだ上に紅をつけ、鶴の巣ごもりを連想させたものである。
裏千家十二代 又妙斎好。


  千代の友
ちよのとも
蒸羊羹仕上げで、上部は淡紅、下部は白色。
裏千家九代 不見斎好。
この頃から舶来のカステーラ、カルメラなどが惣菓子に使われた。田沼時代でもある。もう煉羊羹が江戸にて売られている頃でもある。


  椿餅
つばきもち
日本最古の餅菓子の一つである。有名な『源氏物語』の「若菜」上巻に、
「つきづき殿上へ、簀の子にわらしためしてわさとなへ、つばいもちひ、なし、かうしようのもの共、さまざまにはこのふたともにとりまぜ、わかき人こそほれり給ふ」とある。
この「つばいもちひ」は唐菓子の一つである「椿餅」のことである。
『源氏物語河海抄』に、「椿の葉を合わせ、もちひの粉にあまずらをかけて包みたるなり」とあるが、輸入された品そのままであるかどうかは疑問で、おそらく餅の性質からいって唐菓子とはかなり違っていたものと思われる。
『名菓秘録』や『御前菓子図式』に
粳(うる)米粉を狐色ほどにいり粉にして、罹会(きぬふるい)にかけ白砂糖を竹簾(たけどはし)にてふるひ三品を合せてよく手にてもみ合わせ
少ししめりあるときに布をしめし甑(こしき)の内に敷き随分よく蒸し、杵臼にて右やはらかに成たるほどつき、椿の実ほどにまるめ上下椿の葉二枚にはさみてよし口中にてきゆるごとくにて味ひ至て上品なるものなり。
と記され、葉の中味は実の姿に思われている。
現在ではただ葉に餅がはさまれているように思うが、昔の人は実にたとえていたのである。
道明寺製の餡餅の上下に、先をちょっと切った椿の葉をあてたものがあるが、このようになるまでにはいろいろの苦心と考慮があったのであろう。


  丁子餅
ちょうじもち
丁子草を模したもので、小豆外郎皮で仕立て、白小豆餡を入れたものである。
丁子草は南方の熱帯性のもので、湿地に自生する多年草である。
茎は一、二尺(30cm)、葉は柳に似て白い竪筋があり、互生する。
茎上に淡紅色の丁子に似た花をつける。薫り高い花である。


 
ちまき
端午の茶にはなくてはならない菓子である。
粽に関しては、いろいろ故事が伝えられている。
粽の語源もいろいろあって、茅の葉で包むので茅巻ともいい、千巻の鉾に由来してともいう。形も場所によって様々である。
粽といえば、京都では水仙粽か羊羹粽であるが、地方では外郎粽という新粉仕上げが多い。
粽は古来から使われている。『延喜式』に見られるから、927年にはあったといえる。粽は中国で始まったものといわれ、京都では五色の糸の粽が「御所粽」として伝わっている。
五色の糸の粽は、邪気を払うといわれ、疫病をのぞくという故事に基づいていて、節句で厄除けとしても伝わっている。
また、播磨の蘇民将来が茅の葉を5月5日に軒にのせて疫病よけにしたというところから、茅や笹で団子を包み5月5日にこれを食べると疫病にかからないといわれる。


 

月見団子
つきみだんご

団子は唐菓子の団喜の系統をひいている。
米の粉に砂糖を加えて練り、適宜の大きさに丸めて蒸す。
月見には団子を供える習慣があって、ススキ、芋などとともに三宝に15個盛る。日本では宇多天皇の寛平九(897)年に宮中にて観月の宴を催されたのが発端となったと伝わる。

→ 月見


  黄昏
たそがれ
 

  稚児ちょうちん
ちごちょうちん


  竹流し
たけながし
外回り2cmあまりの青竹を12cmほどに切り、中へ淡紅または白色の錦玉(琥珀)糖の柔らかいものを流し込み、使う時、節に小穴をあける。
裏千家十代 柏叟好。
竹流し水羊羹は、裏千家十一代 玄々斎好。


  玉すだれ
たますだれ


  通天
つうてん


  天焼饅頭
てんやきまんじゅう
薯蕷(じょうよ)饅頭の上部に鉄板で少し焼目をつける。
裏千家八代 一燈が江戸の稽古場へ出張の途中、静岡浜松の小饅頭を見て好まれたもの。


  千歳
ちとせ
老松を意味したもので、青色きんとん仕上げであって、餡は大納言の小倉を使い、時には雪を模して上に白芋を散らし、趣を添える。
裏千家十三代 淡々斎好。


  常磐饅頭
ときわまんじゅう
薯蕷皮の腰高饅頭で、中に青餡を入れて松に見立て、皮で雪を利かせたもの。
不審庵家元の初釜はこの饅頭が嘉例となっている。
表千家十一代 碌々斎好。


干菓子
勅題菓子
ちょくだいがし
その年の勅題に因んだ菓子が、主菓子、干菓子ともに作られる。
また、その年の干支を織り込んだものなどが数々ある。
昔は正月の前になると菓子屋が各種の美しい正月菓子の注文を取りに家々を回っていた。
各店のアイデアで新春の菓子が作られるわけであるが、各戸においても正月の取り合わせに、蔵のお道具の取り合わせとともに、お料理、お菓子の組み合わせをしていた。


  千代結
ちよむすび
蝶結び(稚児結び)にしたもので、赤と白や青と白の染め合わせた有平である。


  つなぎ七宝
つなぎしっぽう
七宝をつなぎ、その内にいろいろ宝づくしが織り込まれ、型も変わっていて、取り合わすものによって面白い打物である。


  常陸帯
ときわおび
昔、正月に常陸国(茨城)鹿島の神祭で行われた、男女の縁結びの際に帯をもって婚を定める「帯締め」から名づけられた。
これは、時代好みの友白髪から好まれた有平糖で、表は白、裏は紅色で、表面に筋を入れる。
裏千家十一代 玄々斎好。


  千代のこぶし
ちよのこぶし
握り拳を振り上げて、”山の横づら春風ぞ吹く”頃の季節感を現して、蕨型の中央へ青い筋を一本入れた有平である。
裏千家十一代 玄々斎好。


  筑羽根
つくばね
外は黄色の煎餅種。それに砂糖をかけ、内に求肥を入れる。初期の茶菓子にある。


  土筆
つくし
有平細工で、土筆の茎を作り、頭部に褐色の有平をつけ、その部分には芥子がふってある。


  稚児桜
ちござくら
親指の頭ほどの丸い有平を紅白の捻じに染め分けて、真中がへこませてある。銘のごとく、可愛らしい有平である。


 
ちょう
弥生に続き、蝶は型を変えて出される。打物、片栗にかぎらず有平糖でもできており、春になくてはならない干菓子で、取り合わせによってはいろいろ組み合わされる。


  たづな


  瀧煎餅
たきせんべい


  竹結び
たけむすび


  千鳥
ちどり
 

巴・木瓜
ともえ・きうり
 

  止舟
とめぶね
 

  玉菊
たまぎく
 

  照葉
てりは


  蔦紅葉
つたこうよう


 
ともえ
 

  友白髪
ともしらが
有平糖製の平形物であって、白無地の筋入りである。この形の有平は江戸時代に多い種類である。


  竹ながし
たけながし
有平をねじた細長いもので、あっさりとしたデザインに茶味のある銘がついている。色は黄色である。


  ツボツボ
鼠色の種煎餅で、白いところは砂糖引きである。裏面はその反対に、同様の砂糖引きをする。
表千家十一代 碌々斎好。


菓子器関連
高杯
たかつき
高い足のあるもので、多くは漆器で蒔絵のもの、無地のもの、木地三宝のようなものと、古い時代から伝わったものであるから数多い。
しかし茶の湯のほうでは、貴人扱いの他はあまり用いられない。一般的なものではない。高さ五寸(約15.2cm)以下の低いものは、一般に用いられる。


  堆朱・堆黒
ついしゅ・ついこく
花鳥模様が多く、その中でも竜紋を得意とした堆黄は、数少ないので尊重される。
その他、紅花緑葉・存星(ぞんせい)・金馬(きんま)などがあり、それ以外に無地のものでは若狭盆・雑木盆・松ノ木盆などある。


参考文献:『茶菓子の話』(淡交社)、『カラー 京都の菓子』(淡交社)。すべて鈴木宗康先生著



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